この指導案は、敬愛大学教育学部阿部研究室で作成されました。
資料
「いじめといじり、どう違う?」
(引用:ウェブマンガ教材「いじめや人権、話し合おう、変えていこう。(Changers)」)
「いじり」という言葉が、私たちの日常生活の中でも気軽に用いられるようになってきた。また、いじりといじめの境界を問うような議論もなされるようになってきた。いわゆるいじりという行為は、一見あからさまないじめに見えないことも多い。コミュニケーションを円滑にするために必要な行為なのだという意見もある。自ら「いじられキャラ」としてふるまいたいという人もいるだろう。一方で現実には、いじられる側が苦痛を感じたり、我慢を強いられたりする場合もある。いじる側は「楽しいからやっている」「場がもりあがる」というように暴力性に無自覚的であるかもしれない。こうした状況においては、いじられる側が声をあげることは難しい。いじられる側が、いじめられていることを受け入れたくないあまり、「これは日常のコミュニケーションの範囲内のよくある出来事なのだ」と思い込んでしてしまうこともあるだろう。
本授業では、日常において「いじりゲーム」が生じうることを自覚し、そのゲームのルールはいかなる理由によりチェンジすべきものなのか、あるいはどうチェンジしうるものなのかということを考えたい。教材では、主人公「ジュン」が友人からいじられ始め、もやもやした気持ちを抱えながらも「いじられキャラ」を受け入れるか否か悩む様子が描かれる。主人公の悩みを想像しながら、問題について話し合っていきたい。
話し合いのポイント
• いじられる側が表面上はノリをあわせていたとしても、実際には苦痛を感じていたり、我慢を強いられていたりすることがある。また、いじる側が「みんな楽しんでいる」と思い込んでおり、自身の行為を正当化して捉えていることがある。
• 一度いじりを許容するような空気ができあがってしまったり、いじりがエスカレートしてしまったりすると、その状況を変えることが難しくなる。特に、いじられている本人が声をあげることは難しい。
• いじられている側が、いじりを止めてほしいのか、いじられキャラを受け入れたいのか、自分でもよく分からなくなってしまうことがある。
指導案ダウンロード
指導計画は、下記より指導案をダウンロードしてご覧ください。